patoさんへ
あさりより
私たちの質問にこたえてから、質問してくださいね。
そしてこれより先、質問形式のコメントは、まずはご自分の考察を深めてから、〜〜だと考えますがいかがですか? としてください。
全ての答えは、ひふみ神示にあり。
そして、ひふみ神示を読みこなす中で、貴方自身に答えが降りてきます。
私たちが答えられない、といえば、貴方は、今度は「そのこと」を持って私たち守護霊団の存在を否定なさるでしょう。 あるいは、明日香の妄想だと、考えるでしょうね。
しかし、言っておきます。貴方が発している質問の類は、全て123便復活を阻止しようとする思いに満ち溢れた思いからの質問ですね。そのような質問には、今後一切お答えいたしません。
私たちが望むのは、ディスカッションなのですから。
以上。
2020年11月12日(月)2:20
以前にもお伝えしましたが、このブログは一人わたし、ことブースカ明日香の「ちから」だけでできているわけではありません。
従って、読者の皆さまから投稿されるコメントを承認するか否か、こんな事も、わたしの指導霊さん達からいちいち指導されています。
このように書くと、お前は見えもしない霊の言いなりなのか?と思う方も多々あるでしょう。
わたしは大学時代、約八ヶ月「精神病院」に入院しました。その時は、完全に『霊がかり』の状態になってしまい、危うく「飛び下り自殺」する直前にまで追い込まれたのです。日本航空123便「高天原事変(たかあまはらじへん)」が起こる前の年、1984年でした。
今思い返すと、その時の霊言の特徴は、あたかもマシンガントークの如く次から次へと、しかも、降りてくる言葉が完全に「支離滅裂」だった事。ついさっき、つい昨日、つい数日前に降りてきた言葉と正反対の事を平気でおろしていたのです。
わたしが、騙されていたことに気がつくことができたのは、降りてきた霊言の全てをノートに筆記して、後から読み返すことをした為です。
降りてくる言葉を空中に書くことはやめなさい!
全てノートに書き留めるように。
悪霊からの「霊言」により完全に騙されていたわたしに、真実に気がつく様、アドバイスをくれた存在がいたのです。そして、この存在のお陰で、飛び下り自殺をせずに済みました。
その後遺症でもあったのでしょう。精神病院を退院してからこちら、ずーっと、全ての霊言を信用しないようにしてきました。だって、わたし程度の能力では「正邪(せいじゃ)」を見分けられないのですから。
そんなわたしが、『邪な(よこしまな)霊を寄せ付けない』ことで、自身の霊能力を発揮できるようになったのは、「ひふみ神示」に出会い、「ひふみ祝詞」を始め様々な祝詞を唱えられるようになったからなのです。
N氏が行っている封印解除に同行するようになり、主に福岡県内の様々な怪しいスポットを紹介していた頃(三~四年前)のわたしは、祝詞を唱えるのはN氏の役割、わたしは道案内、と割りきってました。
また、この頃読んでいたネット情報で、ひふみ祝詞は「神社の神さまが嫌がる」とか、「祝詞には力がない」とか。
或いは「祝詞は血筋の専有物」。だから自然霊に対して唱えるべきではない。むしろ言霊のちからを重視すべき。自ら言葉を編み出せ。
これらの情報の方を信じて、祝詞を覚えることを拒否し、自分の言葉だけで神ごとの真似事(まねごと)を行っていました。
しかし・・・
それがなぜか?そのうち、ひふみ祝詞を覚えないといけないかな?と考え直すようになり、そしてついに、ある日ある時「ひふみ祝詞を覚えなさい!」という強い意思を感じてしまい(^_^;)、今に至る訳です。
今、わたしが携わっているのは、「神事(かみごと)」であり、相手の能力者、つまり陰陽師や僧侶などとの「念力合戦(N氏いわく、幻魔大戦そのもの)」であり、見えない存在との対話であります。
これらは全て、現世の肉体のみでは判断できないことばかりな訳です。そういうなか、再び「霊がかり」になるわけにはいけないのです。
前段はこれくらいにします。また、これらの詳しいことについては、別記事に譲りましょう。
さて、読者のpatoさんからの、二件の連続した投稿がきました。これに対して、コメントとして承認せずに、記事として返答せよ、との指示がやって来ました。
投稿内容を読むと、確かにこのブログの根幹に関わることが書いています。
ですから、しっかりと反論させていただきます。
まずは、patoさんの投稿内容をご覧ください。
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pato
>お前達に科せられた使命とは、この日までに、一切の殺意を無効にすることと心得よ。
『お前達』と言うから疑念が湧くのです。最近のCMでも『貴様は?』という件がありました。
ひふみ神示でさえも『しんみんさま』という私達に敬意を表した問いかけですよね。
たかあまはらやまにます、くにとこたちさま 『お前達』では無く、せめて『貴方達』と言って欲しいのですが?
岡本天明のころのサニワなら、その上から目線、ハジかれると思いますが・・・
pato
>真円が神(?)なら、人の進化は円周率です。
故に神(?)に向かって人が切磋琢磨する事に終わりは無く無限・無限・無限です。
そして、人の学びって教師もあれば反面教師もあるわけですから、教師だけを残して反面教師を無くす事は出来ないと思います。
反面教師たる『呪詛・殺意』いいではないですか?
そして、それに関係した方が、それがどういう結果や意味を成していたのかを死後学んで来世の糧にすれば良いと単純に思いますが・・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
後略〜〜
以上。
発言者代表・あさり(╹◡╹)
ブースカ明日香>あさりちゃん、そして神々様、ありがとうございます( ^ω^ )
2018年11月10日(土)23:29