日本航空123便に起こったこと(1)
北極ミミズ
最初に、私は希代の方向音痴であり、かつ地図音痴であることを告白しておきます。
遠出することはほとんどなく、従って地図を見て確認する習慣もなし。
仕事関係で数年づつ住んだいくつかの地方都市や京都の地理も怪しいし、京都以北に住んだこともないので、羽田空港の場所を指せと言われても難しい。群馬と長野と埼玉の境界などは一切判定不能。
こんな状態だから人生で色々と苦労が大きいのですが、ひとつだけ例を挙げると、池袋駅の目と鼻の先の集合場所に行くのに一時間近く迷いに迷ったといえばお分かりでしょう。ちなみに帰りは五分💦。それ以外は関係ないので省略します。
で、そのような私が2021年11月6日(土曜日)に神々様から「123便の航跡図」として賜った地図が図(1)【→→図(1.5)=拡大図】です。
図(1)
これを書き記す前、神様から
「白い日本地図を用意しなさい。鉛筆を用意して、心の準備をしなさい。」
とご指示があり、白地図と鉛筆をテーブルに置いたまま、午後3時に心理的に集中した上で開始しようと思っていました。
ところが、2時40分を少し過ぎた頃、急に鉛筆を手に取ろうと思い、何も考えずに一挙に線を書き込みました。先述したように地図音痴なので、自分がどこら辺りに線を描いているかも一切不明。あっという間に航跡図を書き終えたのです。
図(1)【あるいは図(1.5)>ブースカ】をよくご覧ください。
図(1.5)拡大図
羽田を離陸した123便は伊豆半島を周回し、そのまま直線的、一挙に御巣鷹の尾根辺りに進んでいます。そこで3つに分裂し、最南の航路では四国の中央部に到達しています。
次に図(2)と図(3)をご覧ください。
図(2)は機が分裂・出発したと思われる地域にあたる長野県南佐久郡北相木村の「回転図」。
(図2:北相木村「回転図」)
図(3)は、ジャンボ機が到達したと思われる地域にあたる高知県長岡郡大豊町の地図です。
(図3:大豊町、住み歩きマップ/お役立ち情報-住み歩きマップ | 特定非営利活動法人 元気おおとよ http://genki-otoyo.org/useful/map/ )
読みにくく恐縮ですが、気になる場所や情報を手書きで書き込んでます。北相木村の白地図は、白い日本地図と同時にプリントアウトしたものであり、大豊町の情報は昨年の夏、わたしが抱いていた考えをまとめ、練り上げたものです。
【ブースカ明日香より>参考図として、両自治体の観光地図を追加します。】
(参考図1:長野県北相木村、村内地図村内地図 -http://vill.kitaaiki.nagano.jp/docs/320.html)
(参考図2:高知県大豊町観光マップhttp://www.town.otoyo.kochi.jp/kanko/map.php )
見てわかるように、二つの自治体の形は非常によく似ています。
さらに対応する地名、山にも似ている点が多く、
※南部の山は
:北相木村では御座山
:大豊町では明神山
※東南部は
:北相木村=長者の森
:大豊町=梶が森(加持が森、とも言う)。
※地名では
:北相木村=久保
:大豊町=大久保
同様に、
:中尾→→永渕
:京の岩→→京柱峠
となっています。
【ブースカ明日香より>ミミズさん曰く、二つの「図形=両自治体」は相似形であり、鏡合わせの関係。そこで、地名の類似性を考慮した結果、図2=北相木村の白地図が「回転図」となっている訳です。】
実はこの大豊町、私の母が「123便事件当日の夕刻、大きな飛行機がゆっくり高知市方面に飛んでいくのを見た」と話した地点です。
つまり、分裂して発着した土地の地形が相似形なのです。(青山透子さんなどが上野村で123便を見たという証言を数多く挙げられているのに、北相木村での証言は《少なくとも私は》聞いたことがありませんが。)
私が自動書記によりこの航跡図を作成した翌日。123便関連で種々の情報を得ている3人(仮にP・Q・Xさんとします)にこの航跡図の話はせずに集団審神者を行いました。
Pさんは、羽田の航空管制室に備えられていた古い管制用機器を見学したことを契機に、その機器の記憶とつながることができるようになった方です。
「123便の航跡を教えてください」
という私からの問いかけに、Pさんが回答してくださったものが図(4)です。
図(1)の大豊町までの航跡と見事に一致しているのがわかります。
(図4:グーグルマップ)
何も明かしていないにも関わらず、Pさんがこの図をupしてくださり、その瞬間私は昨日自分が得た航跡図との一致に驚きました。
次に、再度図(1)から中国地方に向けて出発した機の着地点について述べます。この地点は兵庫県宍粟市山崎町(ひょうごけん、しそうし、やまざきちょう)周辺ではないかと思われます。そこの地図を(図5)として挙げておきます。
(図5)
なぜ兵庫県宍粟市山崎町なのか。これには経緯があります。明日香さんと共に審神者(さにわ)をしていた先月中旬、お山のことはお山にお尋ねするのが一番と、「123便を受け入れてくださったお山は手を挙げてくださーい」と声をかけ「はーい」と手を挙げてくださったのがこの山だったのです。
ゆるやかな斜面の上部に、平坦に近い尾根が続いています。審神者後、明日香さんとこの山まで行き、ご斎事をさせていただきました。古い岩にお話をうかがうと、斜面に飛行機がソフトランディングしたが、その後に人は降りては来ず、トラックが来て何かをたくさん運び去ったそうです。その岩の記憶の内容は、私の「乗客」としての記憶と合致点が多く、背中に戦慄を覚えました。
次回は、先ほどの集団審神者において語り合われた内容について描きます。
(集団審神者メンバー提供)
原文・北極ミミズさん。
原稿受け取り・2021年11月13日(土)14:08
編集、校正、文責、ブースカ明日香
2021年11月14日(日)19:48