読者のみなさま、こんばんは。
去る8月18日(水)〈午前10:10〜11:50〉、今や当ブログのメインライターと言っても過言ではない・・・(^^;; 、毎度お馴染み「北極ミミズ」さんより「日本航空123便事件」に関する原稿が届きました。
彼女からいただいた記事をブログにアップするまで、数日間のタイムラグがあります。それはここ数日、彼女が自分自身を浄化するために各地を走り回っており、それが完全に終了しない限り発表をしてはならぬという審神者が降りてきたからであります。
なのでまずはじめに言い訳しておきます。このタイムラグは決して「わたしの不作為」によるものではありません。(^^;;
それではみなさま、彼女からの訴え、ご一読のほどよろしくお願いいたします。m(_ _)m
[日航123便事件をご存知ない方へ]
〜戦争の傷跡〜
今年も8月12日、8月15日が過ぎました。四捨五入すれば今年70才になる私にとって、1年のうちでもこの2日間は特別な意味を持ちます。
私が子どもの頃の話です。国道沿いにあるわが家へ、汚れた包帯を身体中に巻いた傷痍軍人(しょういぐんじん)さんが物乞い(ものごい)に訪れる。そんなことがしばしばありました。
子どもだった私が、片脚、片腕を無くした彼らに、ご飯を盛ったお茶碗を差し出すと、腰元の鈴をチリーンと鳴らして、頭を下げて出て行かれるのでした。子ども心に「戦争に行かされて負傷したのは、この人が悪いわけではないのに、何でこんな境遇に陥らねばならないのか?」と疑問に思ったものです。
〜日航123便「事件」〜
1985年8月12日、いつものように義父母を含む家族6人の夕食を終え、夫と幼い子ども二人の4人でNHKニュースを見ていました。
落ち着いた口振りに(くちぶりに)定評のある松平定知(まつだいらさだとも)アナウンサーが、急に緊張した面持ちで
「大阪に向かっていた日航ジャンボ機の機影がレーダーから消えた」
という第一報を告げ、ニュースはそのまま続行となりました。(私の記憶では、ニュースはそのまま続行された思いがあるのですが、実際には短く他番組が放映され、その後その番組を中断、ニュースを再開したようです。)情報が収集されるにつれ、「日航機は墜落か?」という懸念が現実になってゆきます。乗客の中には、多数の子どもたちも混じっているとのことでした。
私は幼い娘を膝に抱き、息子をわが身に引き寄せながら
「無事だったらいいね、何もなければいいね」
と呟いていました。なぜか幼児にも親の不安と緊張が伝わるらしく、騒ぎもしないで一緒に画面に釘付けになっていたのを思い出します。私は言葉にならない思いを噛み締めながら「無事であってほしい」と願ってました。日本全国の視聴者が私と同じ思いを願ったのは間違いないでしょう。
〜墜落地点〜
その後時間が経つ中でも、松平アナウンサーは次々に寄せられるニュース原稿を手にしながら、心から乗客乗員の無事を祈っている様子が伝わって来ました。
しかしとうとう「墜落」という懸念が決定的となりました。直後から、日航本社やNHKの関係各放送局等に目まぐるしく画面は切り替わって行きます。けれども一向に、決定的に重要なはずの「墜落地点」が明確にならないのです。
「墜落した」とされるのは巨大なジャンボ機です。特に「墜落」地点近辺に居住していた住民、あるいはたまたま登山などで近くにいた人々は、直ちに場所を特定し通報したはずなのです。ところが、その具体的な通報内容が表に出て来ません。
山の中であれ、墜落したのならその場所は確定できないはずはないのです。地上の人間は、聴覚や視覚で認識できるはずですし、ましてや自衛隊、警察、消防、さらには報道関係の航空機やヘリコプターが現場付近に結集していたはずですから。【←←ここ、重要>ブースカ明日香】
ところが「墜落場所」は二転三転して行き、そして、とうとう夜が明けたのです。
〜不審〜
それに加えて、今でも不審に思う情報がありました。松平アナウンサーが
「自衛隊員が2名射殺されたという情報が今、入りました」
と伝えたのです。私が即座に思ったこと、それは、
「どうして自衛隊員が射殺されるの?射殺?航空機事故に射殺?なぜ?」
その後、この自衛隊員射殺の件は誤報だったと言われたような覚えがあるのですが、それならなぜ全国ニュースに報道されたの? 現実に「何か」があったからなのではないの?
この「事故」の深い闇は既に、当日のNHK全国ニュースに反映されていたのです。
〜人間3原則の提唱〜人間の生命と健康、生活を大切にせず、自らの権益にあぐらをかいて利益のみを追求し、いざとなれば自分たちだけ生き残ろうとする者たちへ。神代に向かうにあたり、「人間3原則」を提唱し、その者たちへの戒めとします。また、近いうちに訪れる神代には、この3原則は日本国憲法の保持と遵守とともに、その基盤の考え方となります。一、いかなる時にも、不必要な苦痛(疼痛、飢餓、心理的負担など)を与えてはならない。ニ、争い(戦争、口喧嘩など)は、決して行ってはならない。三、人間と神との間以外には、あらゆる格差をつくってはならない。〈2021年8月22日(日)20:45、北極ミミズ 追記〉
《参考》
→→
今回の記事と以下の記事、登場人物の整合性については、年齢を含めた匿名であることをご了承くださいませm(_ _)m
〜〜前略
ではなぜ123便のコックピットから返答がなかったのか?それは一切の操縦が効かなくなった123便が、まさに「時空を飛び越えて」日本の、世界のあちこちを飛び回っていたから、なのです。その証拠となりうる目撃証言として、現在85才の女性(以下Aさん)からわたしが伺った話を紹介します。
《なお一言付け加えますと、昨年2019年11月24日に行われたインタビューの席には、記事中に登場する「Aさんの娘」も同席されました。以下の証言記事は、娘さんにお願いして原文を書いていただき、わたしが補足したものです。》
1985年当時、Aさんは四国の中央部、高知県のとある自治体に在住しておりました。
ある夏の夕刻、自宅の庭で「グオングオン」とも「ゴーン」とも聞こえる異様な音に気づき、驚き慌てて外の国道に出たそうです。すると、頭上を灰白色の大きな飛行機が、南(高知市方向)から北に向かって、「ふわふわと波打つような動き」をしながら飛行していくのを目撃したそうです。
その時Aさんは
「これは時々飛んでくる自衛隊の飛行機とは違う!」
と明確に感じた、とおっしゃっています。
なぜなら、自宅上空をいつも飛んでくる自衛隊の飛行機は、今、目の前を飛んでいる飛行機よりずっと小さく見えていたし【→注1】、色も黒っぽい。何より自衛隊の飛行機の速度は、その時に見た飛行機よりずっと速い。そのため、目の前を飛んでいる飛行機は、今までに見たこともないものだと感じたそうです。
【注1=高知県山間部、つまり四国の中央部は旅客機の飛行ルートではないが、しばしば自衛隊の航空機が上空をかすめていたそうである。Aさんが当日目撃した「白い大きな航空機」と自衛隊機。両者は、飛行高度も飛行速度も全く違うと見られる/明日香】
Aさんは、当日の夜、もしくはその翌日、日航機の報道を聞いて確信したそうです。
「我が家の上空を飛んで行った大きな飛行機は、事故機に違いない!!」と。
しかし、その話しを周囲の人にしても、誰からも笑い飛ばされて、信じてくれなくて、悔しかったそうです。またAさんは数日後、その飛行機を目撃した状況を娘さん【→注2】に話したのですが、肝心の娘さんですら、件の(くだんの)目撃談は一笑に付したそうです。
【注2=今回のインタビューに同席頂いた娘さんです。/明日香】
2021年8月22日(日)23:14
原稿記事 北極ミミズ
構成、編集、校正、文責 ブースカ明日香