第七章
※以下にあげる大文字を踏まえた、大幅な書き換えが必要(^_^;)
→わたし達の住む「今、ここ」という場所は一体どこなのか?その解明
→実は「今、ここ」つまりこの「地球」こそ、日本神話でいうところの「黄泉の国」そのものだったのである!!!
→すなわち、ひふみ神示にある「埒(らち)をつけるべき世界」とは「今ここ」そのもの。
※本当の意味での「三次元」には、黄泉の国は必要ないのである。
黄泉の国とは?
→うましあしかびひこじの神様が、自らの体内に漂っていた「くらげなすただよえる」を捏ね上げて(こねあげて=こねこねして)、ことあまつかみ達に内緒で、しかも勝手に作っちゃった世界(^◇^;)。
したがって、三次元の原則通り、最初から黄泉の国を消し去ることを主張したのが、くにとこたちのおおかみさま。
それに真っ向から反対し、なんとかして黄泉の国を建てて行こうとしたのが「とよくもぬ」だったのです。
つまり、「本質の魂」レベルにおいて、この黄泉の国を「支配」していたのは、他ならぬ、とよくもぬそのものだったのです。
以上のことは、ここ一ヶ月で判明したことであり、これぞまさしく「神一厘の法則」に匹敵するくらいのことです。これも、集団審神者の成果となります。
うましあしかびひこじは、縦の働き。
くらげなすただよえるは、横の働き。
縦横合わせて神の働き。それなのに、、(^◇^;)
今ここ、イコールこの地球とは、縦棒|の上に◯が乗っかっている状態。
これを、くにとこたち=くにそこたち(国底立)のお力によりて花開かせることが必要なり。>どなたか?
ひーらいた、ひーらいた
なーんのはーながひーらいた?
蓮華のはーながひーらいた
と、歌う時、両方のお手手で開きゆく花を表現する、あの感じで黄泉の世界は終わりを告げ、黄泉の世界の奥底深く封印されていた日=太陽は、花開くが如く、日が昇るが如く、復活する。>どなたか?
そして、黄泉の世界の存在の大元は、くらげなすただよえる。(以下、くらげなす)実は、くらげなすこそひふみ神示に言う所の「神の帳面」そのものであり、三次元存在の元でもある。
例え今ここ、つまり地球そのものにらちをつけられて、地球の全てがくらげなすに還ったとしても、それこそが新たなる三次元存在の種となる。
今ここにいる全ての存在は、「ひと」なり。ひとは、自らの身魂の掃除洗濯により、マル◯にスゝを入れることさえ叶えば、新たなる三次元存在として生きてゆく道が見つかる。
福岡市で五分の一とは、これが前提となっている。
2020年8月6日(木)23:30
引き続き、あさり先生からの審神者です。この章では、次にあげる私のブログ記事が参考となります。(1)四百五十億分の1〈プロローグ〉 - スピリチャル9条の会〜〜boosuka-asuka’s blog http://boosuka-asuka.hatenablog.com/entry/2018/02/17/175017
(╹◡╹)>私は“八百比丘尼”たちのことを“時空の旅人”と紹介しましたが、彼ら/彼女らとて「旅することができるのは、三次元並行世界だけ」という制約があります。つまり「我ら全ての魂」が存在する“時空間”には、全ての三次元存在は絶対に侵入できないのです。
そしてもう一点、支配者であった彼らが、そして私ことあさりを含む「神」と呼ばれている全ての「3.5次元」存在たちでさえ、これまで認知し得なかった「並行世界」の現状をお知らせしましょう。
[我らが生きている「今、ここ」以外は、全ての並行世界が滅び去っています!!]
これを詳しく解説しましょう。
▷:三次元における全ての時間と空間、つまり「時空間軸」における「今、ここ」という一点に「過去、現在、未来、その全て」が集約されている。
:三次元が発生して以来、数限りなく発生した、「神様を含む全て存在」達が「今、ここ」に、霊体として大集合している。それが世界の人口増加問題として現実化しようとしている。
:地下組織が作りだした全てのクローンたちもそれに加わろうとしている。
:なお、日本の人口減少(予測)については、別問題。したがって別途解明の必要あり。
:ひふみ神示でいうところの「立体、複立体(ふくりったい)、立立体(りつりったい)」も、全て「今、ここ」に集約されている。
:※これだけのことを含みつつ、三次元における過去の時空軸は「今、ここ」以外の『全ての並行世界』は滅び去っている。
:※また、未来に向かう側の三次元時空軸である「今、ここ」も、瞬間瞬間、次から次へと分裂しているが、「今、ここ」以外の分裂先は、『全ての存在の合意が成り立たない』ため、全て滅亡する。
:つまり、三次元世界「今、ここ」は、ここしかないのであるから、その滅びは『一切全ての滅び』となる!。>
(╹◡╹)>※実はこれこそが、ひふみ神示でいうところの「神一厘の仕組み」なのです。
したがって、支配者のメッセンジャーとして三次元世界に君臨してきた八百比丘尼達が“今、ここ”から、近隣だろうが遠方だろうが、どのような「今、ここと同列の並行世界」に脱出しても『完全な虚無の世界』に移動することとなり、その瞬間に魂が消滅してしまうのです。また全ての魂の同意を得られなくなったため、未来の三次元時空軸に移動することも「魂の消滅」となっており、このようなことは、かつて彼らが経験したことのない非常事態なのです。この緊急事態を受けて、ついに彼らは改心する決断をしたようです。なぜでしょうか?
八百比丘尼たちの真の目的は「自分たちだけは生きる、何があっても生き延びる」です。彼らの逃げ道がなくなった今、自分たちが生き抜くためには、みんなと協力するしかありません。ならば、素直にその道を選択するのが彼らにとって当たり前だからです。そこには躊躇い(ためらい)などありません。
ここで「それは支配者だから当然だろう?」という怒りに満ちた疑問を呈するかたもおられるでしょうが、そういう方に限って、前世は八百比丘尼だったのです。よろしいですか?神示に「悪ほど改心早いぞ、善の改心、なかなかぞ」とあることを肝に命じて下さい。八百比丘尼は不老不死ではありませんし、時空間に居る全ての魂が八百比丘尼として、三次元支配者の一員として、人生を経験済みなのです。
三次元に居る全ての「存在」の目標、目的は「生きる」です。ただし八百比丘尼とは違い「死」を受け入れます。なぜか?それは、三次元の過去や未来を改変するという「ルール違反すれすれのこと」ができなかったから。なぜ「すれすれ」という表現なのかといえば、過去や未来の改変は「成り行きにより」許されていたから、なのです。
しかしここから先の未来では、先ほど述べたとおり「三次元時空軸」の改変は一切許されません。なのでこの後に及んで、改心を決意した八百比丘尼たちに対して、憎しみや怒りを持ち続けることは三次元の滅亡を招くだけですし、その怒りの根源は過去世のご自分が支配者として生きた返し矢であり、単なる嫉妬にすぎないのです。
(╹◡╹)>みなさん、この論文の大テーマである「どうすれば怒りのステージを乗り越えられるか?」の答え、どこにあるでしょう?答えは、、、
▷「今、ここ」に集合している魂たちは、この三次元で全ての「存在」として生きた経験がある。なのでその記憶を全て思い出すこと、これこそが唯一「今、ここ」という怒りのステージを脱する鍵である。>
私ことあさりが先程来強調している「今、ここ」という文字、これには様々な意味を込めています。今ここは、七回の滅びを経験した世界です。そして我々は今ここで、人、人外、神々といった様々な「存在」として生きています。その一方で我々は、日本や世界の神話に登場するような有名な神様たちの、いや、たとえ有名でなくても八百万の神々である「時空軸に存在する独立天体」の生まれ変わりなのです。しかし三次元における七回の滅びによって、ことごとくが「数多くの分霊」となってしまいました。【たった一つの例外をのぞいて!。】そして全ての分霊の統一、合一が叶わぬまま、この三次元で生活をしています。ここで「霊」という概念が出てきたので説明します。
▷霊とは、時空間に存在する「魂」と三次元存在の繋がり、その中間部分の全ての存在を「霊」とします。
:>
三次元において、魂と繋がっている「霊」が、どれだけ多くの「分霊」に別れたとしても、また封印されたとしても、その魂は一つです。三次元存在の「霊」が持つ価値観と時空間に存在する「魂」は全く違う価値観で存在し続けています。ですから「魂」の価値観と「霊」の価値観、両者が「同調」していれば、神の御用をなすにふさわしく、「相違」もしくは「解離」していたら、神の御用を成すにふさわしくない、と判断されます。神示では「いくらでもかえみたま、わけみたまは居るぞ」とある、と記述しているでしょう?