※2020年7月30日(木)10:13/写真の入れ替えと、写真の追加をしました。
よろしくお願いします。m(_ _)m
今回の記事は、「署名」のご協力依頼からスタートします。
わたしは、以下のキャンペーンに賛同、署名しました。ぜひ、読者のみなさんも、内容を精査の上、署名へのご協力を いただきたいと存じます。よろしくお願いします。
キャンペーン · 日航ジャンボ機事故の真相を明らかにすべく再調査をして下さい!
· Change.org https://www.change.org/p/日本政府-航空局-自衛隊-日本航空-日航ジャンボ機事故の真相を明らかにすべく再調査をして下さい。
【→※確認したら、終わったみたいです。(^◇^;) 7/28・20:24現在
→7/28・22:18。以下をタップしてください(^^)/】
今日は、7月28日(火)。
昨日、一昨日と雨にずぶ濡れになり、最後の最後にずっこけたりしたけど、無事下山したわたし。今日は旅館で日がな一日、グダグダごろごろしています(^◇^;)。
身体の疲れを心底抜き取るために!
7月26(日)〜27日(月)、一泊二日にわたる今回の山行でお世話になっているのが、川上村大字梓山(かわかみむら、おおあざ、あずさやま)の白木屋旅館(しろきやりょかん)さん。
実はつい先程(→12:00過ぎ頃)まで、身体の疲れでグダグダなわたしと、もう一人同室している「能力者」の二人で、とある神さまからの「審神者」を行っておりました。その結果、日本航空123便事変の真相究明で精力的にご活躍されている青山透子さんについて、重大な「疑惑」が発生しました。ですが、その「疑惑」の発表はいったん置いておいて、、
数名の「サポート隊」による援助を受けつつ、わたしと「相棒」二人が登った「三国山」山行について、簡単な報告をしたいと存じます。m(_ _)m
川上村〜三国峠間の林道は、途中で大きく崩落、そこから先は車の通行ができません。
(追加写真1:2020年7月25日(土)16:51撮影)
なので、崩落現場を乗り越えた上で、そこからさらに、徒歩で約一時間かけて三国峠へ。
(追加写真2:2020年7月26日(日)10:25頃、サポート隊メンバー撮影)
(写真1:川上村ガイドマップ、1:3,9300より。7/26(日)08:45、白木屋旅館に掲示しているものをサポート隊メンバーが撮影)
三国山登山口周辺は、あいも変わらず「ここから先、登山道へは絶対に人を通さない!」という雰囲気満々なのでした。
今回の山行、途中で気になった個所を一点だけ紹介しましょう。それが(写真2)。
(写真2:2020年7月26日(日)14:06撮影・左←高天原・右→一本カラマツ・下↓三国山)
(1)123便が越えたといわれる「梓山」(1849.8m)。この梓山に対する川上村民の愛称?通称?は「悪石(あくいわ)」(写真3及び4)。
(写真3:写真1を拡大。/写真1に引き続き、サポート隊メンバーが撮影及び写真加工。)
(写真4:旅館から見える、梓山=悪石・7月28日(火)・15:06撮影)
(2)123便が倒したという「一本カラマツ」。
(3)多数の少年野球の子どもたちが、ジャンボ機の機体を目撃した野球グラウンドがある「川上村大字梓山」。
この三ヶ所の位置関係です。
わたしが「梓山=悪石」に直接聞いた(=審神者(^◇^;))ところによれば、どうやら『第二の123便』は、この梓山の上空で「再構成」された、とのこと。
ならば、長野県佐久郡川上村と群馬県多野郡上野村、そして埼玉県秩父市。この三ヶ所の村・市境(=県境)を構成する山々を、果たして上野村の小中学校から見渡すことができるのかどうか?という疑問が生じます。
友人からの報告によると、おそらくそれは『無理』。
つまり、文集「小さな目は見た」を書いた児童生徒たちが見たジャンボ機と川上村の野球グラウンドで目撃されたジャンボ機は「別物」だ、と考える方が非常に合理的なはずです。
山行の報告に戻りましょう。
【16:00、筆が遅くてごめんなさい(>人<;)】
【執筆再開、17:31〜】
今回、テントやロープを含む沢山の荷物を担いでの登山であったため、去年に比べて極端に遅いペースの山行となりました。しかもルングワンデルング状態に陥って道に迷ってしまった (゚o゚;;(;゜0゜)様で、とある磐座(写真4)の手前で倒れ込む様に??テントを張ることにしました。
(写真4:2020年7月26日(日)15:32撮影)
場所はここ↓
(写真5:2020年7月26日(日)15:34/スクリーンショット)
ここ、いつかどこかで見た光景??と思ったら、実は去年もしっかりと注目した地点でした【写真6(^◇^;)】。
(写真6:2019年6月22日(土)11:14撮影。後ろ姿で写っているのは今回の「相棒」とは別の人。)
ここからしばらくは、サポート隊と我々山の上班のやりとりを編集してお届けします。(^^)/
:15:30
テント設営場所に到着。
ここについた途端に晴れて来ました(^◇^;):15:45
電池切れ間近
テント設営開始
〜〜〜〜〜
テント設営時は、晴れ。(追加写真3:2020年7月26日(日)15:29。撮影直後、雨が降ってきた。(^^;; )
設営し終わってから雨☂️
旅館のお弁当をテントの中で食する。
/〜16:30。眠たくなる(;´д`):16:36
※テントなどの装備について指示あり。
→テントは、磐座の岩陰に置いてゆくべし。(^◇^;)しかしこのテントは、勇気ある三人が受け取るであろう。
そしてここで、キャンプファイヤーをするべし。
以上。とりあえず、一寝入りします。
:17:05【テントで横になりつつ、眠れなかったので・・】
考察/去年とペースが全く違うのは、装備類の重量が全く違うからだ!(^◇^;)ここで一泊する事。さらに多くの装備を置いてゆく事で荷物そのものを軽くし、帰りはサクサク進んで行け、と降りてきました。
※なお、三国峠からここまでに、これまでに少なくとも2機、航空機が上空を通過。崖崩れの地点から三国峠まで、龍神さんの力により晴れた上空にケムを撒いた航空機が少なくとも一機とんでいる。
:17:32
本当に見事な事だけど、この岩の上だけ、晴れてます(^◇^;):20:05
ここの上空、戦闘機が飛び交っている様です。実際、雷と間違える様な音が度々聞こえてます。
約1時間前、上空を飛行機通過
→直後に雨が降り出す☔️
→最後には、上手いこと燃え始めた火が、フッときえました。そこで、かまどを作り直したのですが、着火剤なども見当たらず、いったん不貞寝(ふてね)することにします。
:20:08
また飛行機の音。
今度は少し遠くから徐々に近づいてくる感じ。
【→サポート隊メンバーの調査によると、福岡行きANAが上空を通過していた。】※この辺の上空は横田空域と関係しているのではないだろうか?
(追加写真4:2020年7月26日(日)20:15、サポート隊メンバーより受信。)
【7/28(水)18:30。宿の夕食の時間です(^◇^;)。
19:30〜執筆再開】
:7月27日(月)11:03
「とつかのつるぎ」発動!!
わたしがここで振るいました。(^^)/
そして、佐渡島をつるぎの「つか」とし、諏訪を通るラインに装着完了!!
《→【追記】参照・20:57》
この後、雨を凌いだ後、下山開始。(^^)
以上。
さてここで、山の上で降りてきた事があります。それは、「本質の魂」レベルでのお話なのですが・・・
123便事変を計画したのは、なんと「とよくもぬの神」だった!!と、いうことなのです。(^◇^;)
これがどういうことなのか?は、のちの記事に譲ります。
ここで重要なのは、その本質の魂レベルでの真犯人「とよくもぬ」の魂を持つ者が、少なくとも二人いる、ということ。
一人目は他ならぬこのわたし。そう、ブースカ明日香!わたしが『本質レベルの真犯人』だからこそ、ここまでの記事を書くことが可能なのです。
もう一人は、123便事変の生存者の一人であり、ここ、川上村と同じ姓を持つ方。そう、「川上慶子」さんです。
この記事の始めに出した「青山透子」さんと、「川上慶子」さんは、同一人物である!!!!
これこそが、私たち二人の審神者の結果なのです。
以下はわたし、ブースカ明日香の推測です。
おそらくだけど、川上慶子さんはアメリカに行くのは行ったのでありましょう。
しかしながら、彼の地にて(かのちにて)整形手術を受けた。顔と名前を変えた彼女は、JALに就職。
そして現在、青山透子さんとして精力的な活動を展開していらっしゃる。
青山透子さん、わたし達の審神者と、わたしの推測、正解か?それとも不正解か?お返事いただけましたら幸いでございます。
以上。
審神者協力 k
2020年7月28日(火)20:15
校正終了 一回目・21:36/二回目・22:25/三回目(追記その2)23:07
レイアウト変更 一回目・7月29日(水)05:00/二回目・7月30日(木)16:27
《追記/参考記事》
十くさ、十二くさの神(かむ)宝(たから)
スピリチャル9条の会https://boosuka-asuka.hatenablog.com/entry/2017/12/24/162055
本日、2017年12月24日 19時の一斉開花を迎えるにあたり、くにとこたちの大神様がどのような態勢でその時を迎えるのか?そのすべてを明らかにせよとのお達しがありましたので、みなさまに取り急ぎお知らせいたします。
[とくさ とおあまりふたくさの かむたから]
ひふみ神示・月光之巻・第5帖でのりあげておられます「言の葉」は、日本列島の以下の場所にそれぞれ配置するべき神様の道具を示しています。
「おきつ鏡」は、琵琶湖なり。
「へつ鏡」は、猪苗代湖なり。
「八つかの剣」は、油山(注1)に突き立てよ。
「九つかの剣」は、大雪山に突き立てよ。
「十つかの剣」は、総仕上げ。
佐渡が柄(つか)となり、中央構造線に添い、串本まで刺しつらぬくぞ。
「いくたま」は、津軽海峡ぞ。
「まがるかえしのたま」は、紀伊水道。
「たるたま」は、豊後水道。
「ちかえしのたま」は、関門海峡。
「おろちのひれ」は、能登半島に配置せよ。
「はちのひれ」は、房総半島に配置せよ。
「くさくさのひれ」は、諏訪湖を中心に、東西方向にむけて置くべし。
十束のつるぎが、諏訪湖の真下を通る時、そのつるぎの刃はひれの真下・ひれを繋ぐ真中を通るなり。
みなのもの、準備はよいか?イメージすべし。
神・人・人外すべてが和合する、古くて新しい世の姿。
いまこそ始めぬ、その歩み。
お筆先 ブースカ明日香
2017年12月24日16:20 記す
《追記・その2》
日航機墜落事故の情報公開を 一部遺族と弁護士らが新団体設立|社会・話題|上毛新聞ニュース https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/society/229022
上毛新聞ニュース
日航機墜落事故の情報公開を 一部遺族と弁護士らが新団体設立[2020/07/28]
8月12日で35年となる日航ジャンボ機墜落事故を巡り、遺族や関係者らが国や日航に情報開示などを求めるために任意団体を立ち上げた。事故調査委員会(当時)がマイクロフィルムで保存した事故調査資料や墜落機のボイスレコーダー(音声記録装置)、フライトレコーダー(飛行記録装置)の生データの遺族への開示を要求するほか、相模湾に沈んだままになっている機体の一部残骸の引き揚げと再調査を訴える。
◎国や日航は当時応じず 時間経過し公開訴える
団体は「日航123便墜落の真相を明らかにする会」。事故で夫を亡くした吉備素子さん(77)=大阪府=が会長を務め、同じく犠牲となった客室乗務員の遺族、情報公開制度に詳しい弁護士、大学教授らが賛同する。事故についての著書がある作家の青山透子さんが事務を担当する。
同会が目指す調査資料開示を巡っては、国や日航が遺族による情報公開請求に応じず、一部遺族の不信感につながっている。世界の航空・船舶事故では数十年たってから新事実が判明する例もあるとされ、吉備会長は「35年たった今だからこそ、事故直後には難しかった情報の開示や(相模湾からの)残骸引き揚げを実現して、真相を明らかにしてほしい」と話した。
遺族代理人で、内閣府公文書管理委員や総務省「情報公開法の制度運営に関する検討会」委員を務めた三宅弘弁護士は、上毛新聞の取材に「30年もたてば全てをオープンにするというのが歴史公文書の利用についての基本原則。理由を付けて開示しないのはおかしい」と指摘する。制度本来の趣旨に基づいた適切な運用を国や日航に求めていくという。
同会の活動には、群馬弁護士会所属の赤石あゆ子弁護士らも参加する。
以上