記事の記述に、一部誤解を与える表現や、説明不足であるとの指摘を受けました。よって元の記事は一旦削除の上、改訂版を発表します。2020年1月7日(火)23:05 ブースカ明日香拝
わたしが大阪芸術大学探検部に所属していた時、一つ一つの活動について、企画書と報告書を作成していました。その上で、一年間の活動を総まとめする「年間報告書」を作成する事が、その年度の活動を締めくくる恒例行事でした。当時、表紙も含めて全てガリ版印刷で作成していたので、一つ一つの作業は本当に大変だったけど、完成した時の嬉しさはひとしおでした。
その冊子のタイトルは「アドベンチャラプス」。
冒険者=アドベンチャーから命名された、この栄光ある??名前をもじり、わたしの年間報告記事を「スピリチャラプス」と命名します(^^)/。
ここに、これまでなかなか記事に出来なかった「ミッション参加者一同」で成し遂げてきたこの一年の活動を総まとめしたいと思います。
スピリチャラプス2019 (1)
:二人の高濱雅己さん(ファーストサイト/セカンドサイト)からのアドバイス
この三年にわたる神さま救助隊の活動で、最大の成果とも言えることは何か。それは、ある方(以下Aさん)が提唱した「日本航空123便の「墜落現場」は、二ヶ所存在するのではないか?」という一見突飛に見えてしまう大胆な仮説を、霊的なサーチにより実証したことです。もちろんこの仮説は、Aさんの並々ならぬ努力によりもたらされたものであることは、間違いありません。
そしてこの大胆な仮説があったからこそ、第三の123便に関する予言が「わたし達の元に降りてきた」とも言えます。
わたし達はそこから、群馬県側の着陸地点をファーストサイト。長野県側の着陸地点をセカンドサイトと仮称することにしました。
その後さらに、現場周辺をはじめとして、群馬、長野、山梨の山間部。救助や検死に住民たちが協力した、あるいは携わった一部の市町村、あるいは事故機の一部を展示している羽田空港のJAL関連施設に到るまで。まさに広範囲に渡る地域に、ファースト/セカンド、サイトを問わない多くの方々が「霊的に」バラバラにされ、遺棄され、封印がかけられていました。それも、乗客乗員のみならず、軍関係。さらには目撃者、探求者など、事件の真相に近づいた方達もたくさん発見したのです。それらの霊魂を多数救出し、バラバラにされた霊体は、完全修復を試み・・・。
試みは成功したのですが、この一連の作業、はじめはたった一人の霊的能力者の奮闘に、全てがかかっていました。m(_ _)m。
しかし回数を重ねて行くうちに、多くのひるこちゃんや天使さん、そして神様達が霊体修復作業の肩代わりを努めるようになり、負担はどんどん軽減されていったのです。そんな地道な活動の積み重ねの中でいつのまにか、コックピットのクルーたちの救助に成功していました。
コ・パイロットであった佐々木さん(ファーストサイト)は、救出の際、あまりにも動揺が激しかったため、一旦上に上がっていただきました。
航空機関士の福田さん(同じくファーストサイト)は、初めてお会いした時、機長である高濱さんのメッセンジャーとしてお見えになりました。その時初めてクルーの皆さん各々に(おのおのに)、もう一人づつ分霊がいらっしゃることをお伝えしたのですが、同時に私たちは次のメッセージをいただいたのです。
「日本航空123便機長高濱は、その責任を最後まで全うするべく、乗客乗員全ての救出に力を注ぎます。救出が完了するまでは、私たちの前には姿を現しません。」
と。しかし今、高濱さんはおふたりとも、私たちの前に姿を表してくれました。そして現時点で「すら」ネット上で拡散されている、123便に関する様々な誤情報の修正に向けた作業についても、着手する決意をされました。
(写真1:JNN報道番組、YouTubeの映像より。なお、このひょうきんな姿をここに提示しなさい、とアドバイスをくれたのも、二人の高濱さんです。)
そこで白羽の矢がたってしまったのが、『航空機に関して全くのど素人』である「わたし」ことブースカ明日香。(^◇^;)
(写真2:二人の高濱さんが、素人のわたしにボーイング747の入門、及び徹底解説書として選んでくれた書籍。)
前回の記事、御巣鷹山ゲストブックへの投稿文章に対するアドバイスは全て、二人の高濱さんからの指示だったのです・・・
:事故調査委員会報告書の根本的過ち(1)《私が二人居るので、以下どちらの高濱が発言しているのかを明記する。》
高濱(ファーストサイト)です。私からみなさんへ訴えます。
私、いや私ことファーストサイトとセカンドサイト、二人の高濱は、この間手分けして、様々な妨害をかいくぐり、各所にて情報収集をして参りました。勘の良い元同僚などが、こちらの存在に気がついたり、逆に積極的に話しかけても、全く気がついてくれなかったりといろいろだったのだけども。
さて、事故報告書と公開されたブラックボックスの音声について一番解せない「誤解」は、わたしがコックピットの機長席ではなく、コ・パイロット席に座っていたとされている事。
そもそも、インターネットに於ける様々な記事の中で、123便の操縦法が、民間機のパイロットでは発想不可能な回避行動をしているという分析記事は多々見受けられるのに、生粋のJAL搭乗員である佐々木君に、口頭で伝えるだけで、軍隊式航行が可能か否か?すぐに解ると思うのだけど、如何であろうか?
自衛隊機のパイロットとして長年培ってきた者でしか対処出来なかった、異常事態への初期対応。その後、全くのコントロール不能に陥りつつも、なんらかの「外部の力」で飛行を続けていると判断を下した後の我らの行動。これは別々に考えて頂かねばならない。
さらに言えば、セカンドサイトのわたしは、羽田を離陸した記憶がないことも一言添えておく。つまりそれは、ある時点で分裂したからこそ、なのである。
:事故調査委員会報告書の根本的過ち(2)
引き続きファーストの高濱より。
次は、羽田を離陸後の飛行経路についてである。
写真3を見てほしい。羽田離陸後、まっすぐ南下しているこの経路は、明らかに間違いである。
(写真3:グーグル検索画面を加工しました。/日本航空123便航跡図。朝日新聞社が、航空機事故調査委員会報告書を元に作成したもの)
我が123便は、羽田空港離陸後、写真4〜5に示される空路を通った。ここで写真3と5の経路の違いは非常に重要となる!まずはこれを、頭に叩き込んで欲しい。
(写真4:http://www5f.biglobe.ne.jp/~seki-nobu/sub102-3.htmlさんより、画像を拝借しました。)
(写真5:写真4を拡大)
では何故、写真5にあげた路線図が重要なのか?それは、相手が考えていた高天原山への攻撃手順と密接に関わるからだ。
航空機を遠隔操縦するために必要なのは何か?ただ単に遠隔操縦装置があるだけでは、その目的は決して達成できない。強いてあげるとすれば、次のことが必要となる。それが、
A)直前までの経路の活用
B)土地の気の利用
C)正確な時間配分
これを元に、わたし(高濱)が推測した、相手側が想定した高天原山への飛行計画は、写真6にあげる通りのコース。
(写真6:iPhone地図アプリより作成)
東京湾を時計回りに進んだ後、間髪を入れず鎌倉上空方面へ。鎌倉上空からそのまま相模川を目指し、川沿いにまっすぐ高天原山を目指す。
ではなぜ、相模川なのか?地図が読める諸君なら、地図上で川を遡れば判ると思う。この川の源流は大月辺りまで遡れるのだ。
それともう一つ重要なポイントは、写真7に示す通り、呪詛の基本となる地名が三つも四つも存在するこの川の存在である。
(写真7:iPhone地図アプリより作成)
それが、花水川であり、桜ヶ丘であり、高麗であり、大磯なのだ。
123便を相模川へと呼び寄せたのは、この花水川である、というのがわたしの現時点での結論である。
この推論に対して、現在とある方に検証作業をお願いしているところである。
検証結果の発表まで、しばらく猶予をいただきたい。
わたしからは以上だ。
以下、ブースカ明日香
ひょうきんものを装ってはおられますが、さすがは元海上自衛隊の選り抜きパイロット。分析力は素晴らしいです。
プラズマ兵器のことも良くご存知だったらしく、プラズマに包まれた時点で「一切の人的操縦は不可能」になると、早々に判断を下したそうです。
判断を下してから先は、操縦桿を佐々木副機長に任せ、客室内のパニック状態を鎮静化すべく、福田航空機関士とともに客室内を走り回ったそうなのです。もちろんこれは、ファーストサイトでの話しなのですが。
それとお二人の高濱さんは、謎と言われている一連の話について、すべてを統合するために不可欠なのが『羽田の管制官たちの証言だ』ともおっしゃってます。内部告発、お待ちしております。(^^)/
実はこの記事、おそ松くんのイヤミ氏のポーズを取る高濱機長の写真を掲載することで、パッと見の第一印象が「非常にふざけた記事」に見せかけています。でも実はその辺も、高濱さんは織り込み済みです。
この記事ふざけている!!という第一印象を乗り越え、記事を最後まで読んでくださる方。内部告発を含めて、謎解きに積極的に参加してくださる方を、高濱さんは待ち望んでいます。
今、2019年12月31日、22:50。今年も後、約一時間。
そして、2020年8月12日は、まさに8ヶ月半後となりました。
様々な記事が書きかけですが、そんなブログにお付き合いいただき、ありがとうございます。
来年8月のその日まで、みなさんとご一緒に歩んでまいります(^^)/
みなさん、よいお年を!
2019年12月31日(火)22:55
校正終了、23:22