スピリチャル9条の会〜〜boosuka-asuka’s blog

我らの戦いとは、相手を消滅することではない。 武器なきたたかいの勝利とは、「愛」で全てを包み込み「神人一体」の世を創り出すことなり。 我らと「ごく一部の存在」とのたたかいは、剣ではなく、「憲法」を以てたたかえ。そのための9であり99である。 ペンは剣よりも強し。繋がりあい励ましあいたたかえ。 とある存在の霊言より 御筆先・ブースカ明日香

ストップ、ZOO、愛をください

私、ことブースカは、1988年4月から’89年3月にかけて、かつて東京都新宿区大久保にあった「センターレコーディングスクール」に通いました。

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(写真1:センターレコーディングスクール、ロゴ)

 

写真2は、卒業写真。「SSL」というイギリスのメーカーの「スタジオミキシング用コンソール」前で、クラスならぬ「班」ごとの卒業写真。いかにも録音の専門学校ならでは、ですねぇ。

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(写真2:卒業写真)

 

実を言うと私。小学校の頃ですが。テレビCMやラジオCMの子役声優として、何本か出演していました。だけども、そのことが周りにバレるのが嫌で嫌でたまりませんでした。また、今は会社自体がなくなったけども、博多区にあったCMの録音スタジオ(FTCスタジオ、という名前でした(^◇^;))。少し前に、今もご健在と“風の噂”でお聞きしたそのFTCスタジオ経営者から、「子役の役者にならないか?」と言う誘いも受け、簡単なカメリハをしたこともありましたが、これも心の中では「絶対拒否」。そして、これまた当時中央区の端っこにあった電通福岡支社でも、一回だけ、社内にあった録音スタジオで仕事したことがあります。

まぁとにかく子どもの頃から人前に出るのが恥ずかしかったのです。(今は、割り切って人前に出ることができますけども(^◇^;))

 

むしろ、声優や役者なんかより、スタジオの三重くらいに張ってある分厚いガラスの向こう側。音響調整室でミキサーの操作やオープンリールの「切りはり(=編集)」をしているお兄さんを見るたびに、ああ、将来は絶対にあっちに座る人になりたい。録音技師(ミキサー)になりたいという憧れを描いていました。

 

声優の仕事をもらっていた母も、私のやる気のなさに気がついたのか?中学になる頃には仕事を取らなくなったようです。

 

その後、まるで北朝鮮のような(=あくまでイメージ)いや、あたかも戦前に逆戻りしたかのような(=あくまでも想像)「管理教育」を行っていた高校生活を経て、大学受験で「ここしか受からなかった、大阪芸術大学、放送学科」に入学。

しかし、大人数での学習環境が全く肌に合わず「寝た切り青年」と化してしまい、授業にはほとんど出席できなかったのです。たまーに頑張って授業に出たら、「あ、あいつまだ居たんだ」とか「生きてたの?」みたいな目で見られる始末、、、

そんな中、アナウンス実習と体育の二つの授業が、かろうじて成績「可」。さらに、悪霊に取り憑かれた「次の年」である、1984年、引き続き悪霊に取り憑かれたまま、精神病院に半年入院する羽目になり、一年間休学。

あとはず〜〜っと留年で、一回生のまま中退σ(^_^;)。そう、六年間、いや実質五年の大学生活で、実習と体育以外は、全部「不可」だったのです。

その一方で、探検部の活動や、民青、共産党などの政治活動や、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会、部落解放運動研究会(学生サークル)などは、一生懸命やっていた「六年間」でもありました。

 

センターレコーディングスクールは、そんな「巨大学校、大阪芸大」とは全く異なる学習環境でした。生徒の数は25名くらい。学校の規模が小さかったことは、わたしの気質にピッタリでしたから、授業は欠かさず出席、そんな一年間でした。(=カリキュラムそのものが一年サイクルでした。)

 

プロのミュージシャンも利用するフルスケールの録音スタジオで、ピアノ、ギター、ドラムス、などプロの演奏家が演奏する楽器に対して、実際にマイクをセッティング。そしてツーチャンネルのオープンリールにステレオ録音してゆく。

コンソールの仕組み等はさっぱり??でしたが、担当の先生が補助してくれましたから、なんとかなりました。そんな感じで、二週間毎に「音楽センター」ビルの録音スタジオで行われる実習授業がすっごく楽しかったのです。

また秋には、山中湖の湖畔にあるログハウスのスタジオで二泊三日の実習授業があり、後期の授業は、実際のバンド演奏を収録。私が選んだ課題曲は「タキシードジャンクション」。マンハッタントランスファー風のコーラス付き、でした💦

こちらのスクールは、無事卒業しましたよd( ̄  ̄)。

 

さて、またまた前置きが長くなってしまいましたが、なぜ?今から三十年前の卒業写真を引っ張り出して、みなさんに公開したのか? それは、

 

岡田有希子さんの母親が娘に宛てて書いた本のタイトルと、センターレコーディングスクールでの「座学」授業での一コマが、ピタッと合致したから、なのです。

 

この学校、音響技師を目指す若者が通っていたわけですが、実際の音楽業界やレコード会社では「ミキサー」以外にもいろんなセクションや「お仕事」があるわけで、実際スクールを卒業して営業の仕事についてる方も多かったそうです。

このような理由から、営業戦略の授業がありました。確か、後期、半年だけのプログラムだったと思いますが、スタジオ実習以外の科目で、結構好きな部類の授業内容でした。

当時のノートなどは全部「お焚き上げ」してしまい、手元に残っていないので、その授業の正式名称は忘れてしまいましたが、、、

 

「営業戦略」の先生は、現役の営業マンでした。

会社は「ポニーキャニオン」。

そう、岡田有希子さんが所属していたレコード会社です。 

その先生に「今回の授業の内容は企業秘密だから、今回の授業の内容だけは外部に漏らさないでください」と念をおされた回がありました。

 

だけども、あれからすでに三十年の月日が流れ、いくらなんでも企業秘密は時効切れかな?と思いますので、その内容をここで発表しちゃいましょう!

《あ、もしその先生が仕事掛け持ちしてて、それがバレたら困る、とか言うのだったらどうしよう💦。でもおそらくそんなのない、よね???》

 

とある新人歌手のデビューシングルの録音を聴いた上で、その営業アイディアを考えよ。

そこで私は閃いたのです。

「この新人さん、曲を聴いてみてお世辞にも歌が上手い、とは思えなかったし、ぴんとこなかったので、歌のうまい別の歌手のレコードを同時に売り出ししたらどうでしょうか?」

 

秘密の授業とはいえ、ひどい物言いですね、反省です。が、なんと、このアイディア、営業会議で通ったのか??しばらく経ってから男性歌手が歌う別バージョンが売り出されたのです。いわゆる「カバーバージョン」ですね。

当時は同一の楽曲を、違うレコード会社が競い合って発売する、これを「競作」といいますが、これが一般的でした。なにせ戦前からありましたから(=ラジオ深夜便で得た知識です💦)。

戦後で有名、と言うか私たち世代でおなじみのものは「大阪万博のテーマソング」。

ところで知ってはる?あの曲、三波春夫だけでなく、倍賞千恵子坂本九が歌っているバージョンもあるんでっせd( ̄  ̄)>人生の半分以上を大阪で暮らした、ブースカ明日香、でした。

 

しかし、同一の曲を別の歌手に歌わせて、同一のレコード会社から発売する。こういう発想はなかったか、あるいはあったとしても企画段階で黙殺されていたか?兎に角、珍しい事だった「はず」です。

だってそんなのが当たり前に行われていたら、専門学校の学生が考える「新しいアイディア」でも「斬新な発想」でもなかったわけですから。(ちょっと言い過ぎ、すんません💦)

そしてこの私のアイディア、戦略として「あたり」だったようです。

 

その新人歌手の名前は川村かおり」。

曲のタイトルは「ZOO」

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(写真1:画像はユーチューブより引用。なおWikipediaによれば、川村かおりさん(旧芸名)は、2009年7月28日、乳がんにて逝去されてます。)

 

さて、実は昨日、というか、下書きを書いている時点で、もうすでに1月7日の0時53分(さらに、下書きから構成しなおし中の現在時刻は、4:26)ですので、すでに一昨日のことです。

深夜の仕事の終盤から雨が降ってきて、バイクに乗る気(乗って帰る気)が起きず、配送作業用の車に乗ったまま雨宿りしてました。結構な本降りでしたが、エンちゃんϵ(^.ω^)϶が「もうすぐ雨は止むよ!」と知らせてくれたので、安心して車内で雨が小止みになるのを待ってました。

朝の7時頃のはなしです。雨音のする車内にて、有希子さんに関することがらを色々と「受け取り」そして考え、ネットで調べごとをしていたのですが、その中で、、、

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(写真2:愛をください、表表紙(おもてびょうし)。ネット検索画面より)

 

こちらの書籍の画像を見ながら、ふと

 

あれ?そういえばこの「愛をください」というフレーズ、どっかで聴いたような気がする???

 

との思いが湧き上がりました。さらにしばらく後、やっと思い出したのです。そのフレーズがどこにあったのかを。

 

「あーーーー、そぉか!

愛をください、うぉおおお、

愛をください、ズゥー、ズゥ」

って曲のフレーズじゃん!」

 

そうです、三十年前の印象に残る出来事と、岡田有希子さんが繋がったのです。

曲のタイトルはど忘れしてましたが💦、そして、

この「ZOO」という曲は岡田有希子さんの母親の娘に対する思いを『ズタズタに引き裂く』呪詛ソングであることが判明したのです。

 

では、その歌詞をスクリーンショットを繋いだ映像でご覧いただきましょう。

【ちなみに、雨はここまで気がついたあたりで、本当に止みました!(^^)】

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(写真3〜7:川村かおり、ZOO、歌詞で検索川村カオリ ZOO 歌詞 http://j-lyric.net/artist/a0504a2/l019a89.html

 

五枚のスクリーンショットをツギハギしていますので、途中で歌詞が重なったりして、分かりづらいと思います。

写真加工ソフトなんかないし、あっても今は使いこなせないので💦。どうかご勘弁を。

 

では、この歌詞のどこが呪詛なのか?

 

「愛をください」と懇願する佐藤佳代さんの母親に対する「アンサー」が、次のスクリーンショットの部分になります。

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(写真8:川村かおり、ZOO、歌詞で検索川村カオリ ZOO 歌詞 http://j-lyric.net/artist/a0504a2/l019a89.html

 

おわかりですよね?みなさん。すなわち、

 

「あいつの気持ち」とは、佐藤佳代さんの母親の気持ちを指します。

そして、「ZOO」の「Z(ゼット)」を時計回り(もしくは反時計回り)に90度回転します。すると、アルファベットの「N(エヌ)」になりますよね?

 

つまり、愛をください、という想いへのアンサーは、

Oh!No!

となるわけです。

 

このうたの歌詞をさらに深く分析したら、おそらくもっと色々な呪詛掛けの「仕掛け」がワンサと出てくるでしょう。しかし今、私(たち)が重視しているのは、岡田有希子さん、こと「佐藤佳代」さんへの呪詛です。なので、これ以上の深追いはやめます。

 

いずれにせよ、私と何かしらの「縁」ある曲が、このようなことに利用されていたなんて酷すぎです。

よって、佐藤佳代さんとその御両親、そして彼女のお姉さんに対してかけられた「呪詛」を明らかにすることにより、彼女にかけられた巨大な呪詛の一端を消し去ります。

以上

審神者&記す ブースカ明日香

助言 佐藤佳代さん

2019年1月7日(月)04:50 下書き終了

推敲、校正終了=同日 06:01