2014年、わたしが当時の探検隊メンバーに送信したメールを掲載します。
古神道に目覚めてしまった今、くにとこたちの大神様からのメッセージを解析し始めた今、ひふみ神示を勉強し始めた今・・・
自分自身の足跡をたどる事は、ブログスタートのきっかけともなった「予言の解明」に必要不可欠であると確信します。
読者のみなさま、しばらくのお付き合い、よろしくお願いいたします。
なお、わたしが当時使用していた携帯は「au w62CA・G’z One」。
色文字や資料写真については、当然ですが当時のメールに添付しておりませぬ。
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8/8 19:25送信
こんばんは。わたしはこの12日、どうしても御巣鷹の尾根に登ってみたいと思い、クルマで移動しております。
6日の日に広島市を出発。ちんたら旅を続けて、7日に出雲大社に参拝。
(写真1・2)
今日は高浜原発を外から見て、今は岐阜の山中にいます。
(写真3・4)
いろんな現場を見ていろいろ考えていますが、もしかしたら高浜原発で思いっきり「陽電化」してしまったかもしれません!(注1)
一時はかなり意識が飛びかけたりしたのですが、福井と滋賀の県境近くにある「気比神社」に助けてもらったみたいです(^_^;)。(注2)
みなさんは、12日どうされてますでしょうか?
ブースカ明日香
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8・12 7:07送信
Re:皆様へ
今、上野村に来ています。けっこうな雨が降ってます。
今朝いろいろハプニングがあり、それがきっかけで地元の人に話を聞けました。8月12日で雨になったのは、初めてだそうです。
例え雨でも、御巣鷹の尾根には登ろうと思っています。
ブースカ明日香
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次のメールは、「8月12日・慰霊の日」当日。お昼の12時25分頃に、御巣鷹の尾根から送信しようとしたメールです。しかし、尾根道が電波圏外だった為、送信出来ませんでした。従ってメール送信の日付は8月16日の深夜となっています。
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メールその(1)
2014年8月16日 2:16
只今高天原山に向けて登山中です。と言うか、登りなさい!!!と言われたみたいですので(^_^;)。探検部の経験がいきています。(笑)
山の中は、岩鞍と無残に切り倒された楠の木だらけですよ。ただし、切り株から新しい子どもたちがすくすく育っているので心配はなさそうですが・・・
~~さんが「この山は神の山だ!」とおっしゃってましたが、実物を見たらよくわかりました。
(写真5・6)
山の地図によれば山頂まで一時間くらいとの事なので、昼過ぎには着くでしょう。(注3)下りの方が大変そうですが・・・
山の中より
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メール2~追伸までは、旅から帰ってのちの報告、及び感想等。送信日は、8/16深夜です。
メールその(2)
この旅行で、先日の講演会で頂いたひふみ神示の所作を記したプリントを持って行ったのですが、メール送信直後(注4)に、登山道の途中にある岩鞍の上で正式所作にのっとって唱えなさい!?と言われました。
(写真7)
まさに「カミカミ」で、果たして山の神様に通じているのかしら?と思いましたが、しばらくしてその岩鞍から『ブワッ』とかなしみが噴きあがってきたのです。私は思わずもらい泣きしてしまいました。
さらに高天原山まで行け、と言われた様ですが三国峠との分岐に至るまでがやっとこさでした。(注5)
雨さえ降らなければ、一泊覚悟で行ったと思うのですが・・・
体力の衰えもあり、尾根までの下り道は散々でした。
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メールその(3)
尾根に並んだ墓標の前では、静かにみて回るしかなかったのですが、心のなかでは「千の風になって」の歌詞が繰り返し流れてくるのです。
そう、あの墓標の並び方は、明らかに不自然だと感じました。
そのような中で、歩きながら思いついたことが「解らない事は、一部始終を見ていた山に聞けば良いではないか!?」って事です。
これは、前日の鳥海山での経験の延長でしたけども。(注6)
16時を過ぎて、参拝者がほぼいなくなってしまい、スタッフが残りの人を心配して入り口と連絡を取っているような状態の中、尾根を下りながら、何故尾根の下の方は焼け跡もあり木々がなぎ倒されているのに墓標がないのか?と不審に思いました。
この状態は、やはり不自然ではないでしょうか?
次回、あの沢に行く機会が あったなら、入り口から入ってすぐの所にある『亀さんみたいな岩』に聞いてみる必要があるかもしれませんね。(注7)
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メールその(4)
さて、これから先の文章は全て直感です。まずは結論から書きます。
山の話しを聞くには、必ずしも山そのものが直接見えない位置でも良い!と言う事だったのです。
そして、山が語る話しは、レイラインを通じて、まるでインターネットのごとくに他のポイントに届く事も教えてもらいました。
例えば、タカアマハラ山からの通信は、阿蘇山のとあるスポット(どこかは?とりあえず探すしかない)で受信することが可能なのだ!と言う事です。(注8)
だからこそ!!あちらの方々は、執拗に山を削ったり掘ったり、高圧電線を通したり、電波塔を建てたりてやっていたのだと思います。
また【植林】などで神奈備(かんなび)に大きな目玉を作るのもしかりです!
(写真8・9)
しかし、それらの人工的な仕掛けは、封印されている神様を解放してあければ、単なる「蝉の脱け殻」と同じようになるのだ、と言うヒントも、諏訪大社下社の神様から教えて頂きました。
もう一ヶ所、ヒントを頂いたのが、長野県上田市にある「東太郎山(麓に大里斎場と言う名の火葬場があった(^_^;))」の黒龍さんです。(注9)
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メールその(5)
ここで、8月12日の話しに戻します。
御巣鷹山の駐車場から、私が高天原山に教えてもらったポイントにクルマ(軽自動車)を止めました。そこはエンジンをかけてもいないにクルマがビリビリ揺れて来るようなところでした。場所の詳細については、ここでは割愛します。
参拝者の駐車場にスタッフ以外で駐車していたのが私だけだった(報道陣も全て引き払っていた)のが逆に幸いした様です。残りのスタッフにかなり怪しい目で見られてましたから。
今回の墓参で強く思ったのは、犠牲者の魂をこの地に縛り付けてはいけない!
そして米軍やソ連軍、警察や自衛隊など(を含む=追記)全ての犠牲者たちが、家族や友人と会える!そんな事こそが本当の奇跡だ!と言う事。私たちはそのお手伝いをしなければならない!と言う事でした。
だからまず今日は、山に話しをききながら乗客達の恐怖がやってきたら、できるだけ浄化してあげよう!!と思ったのです。
さて、私は2時間くらい前からその場所で待つ事になりました。搭乗客の皆さんはそれくらいから、これからのフライトを楽しみに集まってきたはずです。
18時前、飛行機になんらかの異変があれば何かショックがあるかも、と思いながらも、小雨でもありクルマの中で意識を集中してました。
エンジンもラジオもつけてないのに、無線の声みたいなのが聞こえたりしました。
10分過ぎ(時間は伏せます。後に皆さんで追加検証をして頂きたいからです。私は霊媒体質らしく、悪霊に散々騙されてきたから…)頭にコツンとショックがきました。
それからしばらくして、ついに見えてしまいました。スチュワーデスさんが必死で客席の間で作業している姿が!!
35分過ぎ、雨もほぼ小雨になり、道端の岩鞍の前に、時間を計るため左手に携帯を持って立ちました。
すると右手、両足、時々左手が震えだし、終いには体全体がガタガタ震えだしました。
確かに山の中で1日雨に降られて、少し肌寒いくらいで、多少の風もあったのですが、あの震えは異常でした。おそらく、乗客達の恐怖がやってきたのだと感じます。私だけの力でどれだけの事ができたかは?ですが、一応ヒーリングの講習は受けた事があるので、私なりに精一杯頑張りました。
その後、ある時間で体の震えがほぼピタリととまりました。(この時間も伏せます。)
その後、その場所で55分から一分間の黙祷を捧げました。
真相を探るために重要なのは、本当はそれから後。(つまり=追記)当日の深夜であり、また翌日川上慶子さん達が助け上げられ、更には自衛隊や消防団が帰るまでの時間。
そして御巣鷹「事変」がおきた山々にも聞かねばならないと思います。
そのためにも、どうやらまた御巣鷹山に登らないといけないかもしれません!
以上、今回の調査旅行の報告レポートでした。
ブースカ明日香
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追伸
今回私がいろいろ見聞きできたのは、長年に亘って現地で調査活動を行ってきたみなさん達の成果と、あの時間に黙とうを捧げた多くの方々のおかげだと感謝しております。
また、昭文社の登山地図を改めて見ていて、どうやら私は御巣鷹山(焼山)と高天原山(神立山/ショナミの頭/蟻ヶ峰/蟻ヶ峠)をごっちゃにしていました。<(_ _)>
(写真10)
昇魂之碑から続く尾根道にあった道標と、地図のすり合わせが現場ではよく出来てませんでした。
m(__)m地図の読図法をもっと勉強し直さなくちゃ(^_^;) (注10)
ブースカ明日香 記す
2018年1月21日(日)17:21
追記)
この旅行・走行距離=3767km( ^ω^ )
脚注~~
注1)
陽電化、と言う言葉は一般には知られていない概念であり、仮説です。
2014年当時「(新)日本の黒い霧」主催の講演会にてお聞きしました。
以下は、わたしのノートよりの抜粋です。
▽生体陽電化のメカニズム(仮説)
ブログ上では「放射化」と書いてましたが、より正確性を期すために以後放射化ではなく、「陽電化」と呼ぶことにします。陽電化とはプラス帯電化と同意。
A)1回のアルファ線照射で電子は約3万個消費される。
B)高エネルギーのベーター線やガンマ線でも多量の電子を消失する。
C)これにより身体が過度の「プラス帯電状態」となり、免疫機能が低下してしまう。
D)なぜなら、生体内の化学反応とは「電子の交換」であるから。
以上
注2)
〒914-0313
福井県道140号線沿いにある、小さな神社。そこから滋賀県寄りに進むと、柳ヶ瀬トンネルがある。
注3)
この時は、昭文社の登山地図を見ながら、あと1時間で到着、と判断しています。
注4)
実際は送信失敗していた
注5)
実際は、高天原山を通過して、三国山の山頂(=三国峠との分岐地点・道標(写真10)の場所)まで至っていた(^_^;)
注6)
岐阜の高山から、長野経由で上野村に行こうとしたら、道を思いっきり間違えて神岡方面に向かってました^^;。
その前に何故か?高山市内で「和食の店 レストラン鳥海山」という看板を見つけた!?のもあり、こりゃ呼ばれてるな、と思い直して、富山から一気に高速で新潟へ、そこから国道を走って鳥海山まで行きました。
鳥海山の麓の町、庄内町庄内橋左岸で、山が一望できる場所に車を止め、およそ10分程鳥海山そのものをボーっと眺めてました。
ちょっとだけウトッとしましたが・・・
どうやらその時に《この山のどこを巡れば良いか》という情報を、山の神さまからいただいたらしく、さらには台風が追いついた夜に車内泊をせずに町営の宿に泊まることも出来ましたし、翌朝山頂付近の駐車場にて龍神様と出会えた!! のです。
注7)
現場の登山道は、しばらく小川沿いを通っています。その登山道のスタート地点からしばらく登ったところに、どう見ても亀さんにしか見えない岩があるのです(^^)。その場所は、登山道が小川よりも結構高い位置、岩自体は小川の近くにある。ちょうど右下に見下ろすようになります。写真は、ないですが・・・
注8)
これらの話を教えてくれたのが、高天原山そのものでした。
注9)
上野村より当時居住していた岡山に帰る際、諏訪大社と下社に寄りました。諏訪大社の元神さまは、なんと下社の、しかも、無造作に駐車場に何個も転がされていた「石で作ったやしろ」。そのうちの1個に閉じ込められてました。私の当時の力では、封印を解く事はかないませんでした。
また、長野県上田市では、何回も町から出ようとするのですが、どうしても町の中心街にかえってしまう。そう「ルングワンデルング」におちいったのです。そこで、クルマのハンドルを神様にお預けしたところ、東太郎山のふもとに連れていかれました。
結局、この東太郎山のふもとに一泊半する事になったのですが、1日目の夜「黒龍でもよいか?」という問いかけが聞こえ私が「構いません」とかえしたら、山を貫く高速道のトンネル入り口の上部から一筋の黒雲が湧いてきて、わたしの目の前で人型に変形したのです。
この話も、項を改めて記事にしましょう(^_^;)
注10)
この日、現場では徹夜や一泊することなしに帰路につきました。
写真1)
平和祈念式パンフと読売新聞号外
写真2)
’14・8・7(木)出雲大社 ノートより
写真3)
(一社)若狭湾観光連盟発行 若狭路まるごとまっぷ 食祭海道 若狭路
写真4)
パンフレット・岐阜県揖斐川町観光ガイドマップいびがわ・ 揖斐川町観光ドライブマップより
写真5・6)
国土地理院1:25,000地形図。
NJ-56-36-8-2(長野8号ー2)浜平(はまだいら)
同じく
N-1-54-31-5-1(甲府5号ー1)居倉(いぐら)
を張り合わせた地図。
昭文社の登山地図では、肝心の御巣鷹の尾根周辺があまりにも下のすみっこに掲載していたため、オリジナルの地図を作って、二つの地図で登山しました。
この地図、持ってて良かった!とつくづく思います。なぜなら、発行年月日が昭和63年(1988年)12月18日発行。つまり123便墜落事故の3年後です。
そしてこの地図には、上野ダムと南相木ダムが載ってません。南相木は、建設中、となっています。さらには、御巣鷹の尾根へのアプローチルートとして、川上村~三国峠~三国山~高天原山~現場、あるいは、中津川林道~三国峠~現場という選択肢がありえた、というのが確認できるからなのです。
しかし、その選択肢は黙殺されました。なぜか?
それは、ファーストサイトとセカンドサイトの場所が「スゲノ沢の頭・大蛇倉山」を中心とする「鏡合わせ」となっていたから!です。
実際、昭文社の山岳地図では、大蛇倉山以西には《下降時この尾根に入らないこと(迷)》とありますし、地図情報で南相木ダム方面は掲載されてません。。
この地形図の拡大図、及びファーストサイト、セカンドサイトに関する推理・審神者については、改めて記事にしててアップします。
写真7)
エンちゃんで隠れている辺りに、正式の所作が書いてます。
写真8・9)
2014年12月18日17:03~17:14頃、福岡から岡山へ移動中の車内より撮影。降雪で国道2号線が大混雑する中、東広島バイパスに沿っていくつもの大目玉ができていました。ちなみに証拠写真はありませんが、この追悼旅行の最中、あちこちに、これに類するピラミッドや目玉模様があちこちの山中に作られていました。
写真10)
三国山・山頂の道標。
この日(2014年8月12日)撮影した、2枚のうちの1枚。