スピリチャル9条の会〜〜boosuka-asuka’s blog

我らの戦いとは、相手を消滅することではない。 武器なきたたかいの勝利とは、「愛」で全てを包み込み「神人一体」の世を創り出すことなり。 我らと「ごく一部の存在」とのたたかいは、剣ではなく、「憲法」を以てたたかえ。そのための9であり99である。 ペンは剣よりも強し。繋がりあい励ましあいたたかえ。 とある存在の霊言より 御筆先・ブースカ明日香

(1)鉄兜(靖国)と兜町(証券取引)。「英霊」とは何か?(1)

こちらの記事はかねてより、ひろひとさんから依頼があったものです。

そして、2017年9月23日アップした「天皇に対するわたし自身の考え方とその変遷」及び、同年12月3日にアップした「一斉開花・その4」さらに同年6月27日の記事「真実の田中角栄さん」の続編となります。

 

このシリーズで、果たして、靖国神社護国神社が何を『魔吊り(まつり)』、なにを守護しているのか?それらを明らかにしてゆきます。

 

先月、9月23日(日曜日、秋分の日)から25日(火)にかけて、佐賀県唐津市国民宿舎「ホテル虹ノ松原」に宿泊しました。このホテルを予約をしたときはまったく知らなかったのですが、なんと虹ノ松原そのものが昭和天皇である「ひろひとさん」の所縁(ゆかり)の地であったのです。

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(写真1)国民宿舎ホテル虹の松原とその周辺:グーグルマップより

 

ひろひとさんの公式日程によると、「高天原事変」から2年後、1987年(昭和62年)5月25日、行幸の一環として佐賀に来県、虹の松原内に所在する、とあるホテルに宿泊していたのです。【行幸>ぎょうこう:天皇の外出の敬称。みゆき。/三省堂、新小辞林】


そしてこの時の「ひろひとさん」は、「影武者」であり、かつ、本人でもありました。

一体どういうことか?

 

陰陽師の仕事は、権力者の治世をサポートする事ですが、その延長線として、権力者そのものを「敵」の攻撃からお守りする、ということがありました。

その中でも特に「戦国の世」と云われた頃より、権力者(>この場合は、武将などを指します。)の替え玉として必ず存在した「影武者=成り済まし(以下、なりリン)」。

 

当時の、いや現代においておいてさえ、時の「権力者」は、刃物や毒薬などの直接的な方法から、いわゆる「呪詛による殺害《=呪殺(じゅさつ)》」まで、様々な方法により、常に命を狙われていました。

「呪詛による殺人」には、その人の髪の毛や爪などの身体の一部分とともに、その人の「本名」というのが必須項目。ですから、当時の武士たちは、頻繁に「通り名」を変更していたし、本名や顔までも秘密にしていたわけです。【注意:現在「恋のおまじない」などと称して、様々な形で紹介されているものは、全てこの「呪殺の法」の派生系です。御用心召され!】

 

そんな状況下で、なりリンが影武者として破綻しないよう、つまり権力者に対する呪詛を確実に受け止めて、権力者本人ではなく、なりリンが殺されるような秘術が施されていた、と言います。それが、「権力者本体」の魂を分割し、「なりリン」に植えつける事、なのだそうです。【>ここまでの話は、私、ブースカ明日香も初めて聞きました。】

 

この様にして古来より引き継がれた、「人の魂を分割する」という陰陽師の技(わざ)は、呪詛、呪殺に関係する「邪法」とも言えます。そして「邪法」なるがゆえに、最近でもさまざまなところで、秘かに悪用され続けているのです。【実際、わたしと姉は、魂を『八分割』され、そのうちの七つまでを様々な場所に封印されていたことが判明したのです。これについての詳しい経緯は、別の項で紹介します。】

 

さて「昭和天皇裕仁」さんに話しを戻します。ひろひとさんは、表の天皇なるが故に、私たち姉妹の八分割どころではない、数十から数百。下手したら数千に渡り魂を分轄されています。それは、なりリン達への分霊、のみならず、「行幸」で訪れた様々な土地、地域で、「その場で」魂を分割され、記念碑などに封印され続けてきたのです。

 

そして、「なりリン」として、裕仁さん本人の分霊を仕込まれた方は、唐津に来訪する際は、「なりリンであり、ひろひとさん本人」でした。東京に帰るまでは!

そう、彼は昭和天皇のなりリンから、普通の人に戻った状態で帰京したのです。

つまり彼と分霊は、ここでもまた「邪法による悪用」を施されてしまったのです。

 

ひろひとさんの本体が「高天原事変」で失われた以上、これ以上なりリンには「利用価値」がない、つまり用済みの存在になってしまった。そんな存在と「みなされてしまった」なりリンに対して、いつまでも分霊を仕込み続ける意味はない。

そこで、一旦「なりリン」から「ひろひとさんの分霊」を引き剥がし、改めて唐津の某所に「分霊」を封印しなおしたのです。【こんな文章、書いてて辛いです。>明日香】

 

それはいったいどこか?答えは、

なりリンが宿泊したお宿「唐津シーサイドホテル」

なのです。

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(写真2)唐津シーサイドホテル、入り口。ただ今、全面改装中。

 

もちろん!わたしはひろひとさんとご一緒に、すぐ隣の「ホテル=国民宿舎」に二泊もしたわけですから、彼の分霊はしっかりと取り返し、本体へと戻っていただきました。(^_−)−☆

 

そしてさらに、そのすぐ近所にある「忠霊碑(ちゅうれいひ)」からは、石碑に封じ込められていた「軍霊(=ぐんれい>もう、シリーズタイトル以外で「えいれい」とは呼びません。)」たちを、ひろひとさん立会いの元、解放いたしました。

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(写真3)忠霊碑

 

その、唐津の軍霊さんたちの中に、魂を分割されて、今もなお「活用」されている方が数名、おられます。それこそが、

兜町証券化されている」軍霊

なのです。

不幸にして選ばれし、「五万人の軍霊」たち

これこそが、今の資本主義社会、そして会社や企業に富をもたらす「証券=株券」と化しているのです。

彼らは、ごくごく細かく分霊された上で、一枚一枚の証券=株券に封印されているのです。

 

続く(u_u)

審神者&記す ブースカ明日香

2018年10月10日(水)22:05