スピリチャル9条の会〜〜boosuka-asuka’s blog

我らの戦いとは、相手を消滅することではない。 武器なきたたかいの勝利とは、「愛」で全てを包み込み「神人一体」の世を創り出すことなり。 我らと「ごく一部の存在」とのたたかいは、剣ではなく、「憲法」を以てたたかえ。そのための9であり99である。 ペンは剣よりも強し。繋がりあい励ましあいたたかえ。 とある存在の霊言より 御筆先・ブースカ明日香

大水晶を活用せよ

災害除け祝詞

「雨の神様、風の神様、岩の神様、荒(あれ)の神様、地震の神様、守り給へ、幸はえ給へ」

守護の神さまより(前回とは別の方)

大難を小難に変えるには、どうすれば良いのか?それは・・・

 

ひとつ、人民が、予言者が受けし言葉を、鵜呑みにしてはならない。

 

ひとつ、想像を膨らませてはいけない。

 

ひとつ、地崩れに飲み込まれる事のみを想像してはならない。

 

これらの大原則を守り通すことです。

 

つまり、

予言を聞いた皆さんが、予言を元にして、勝手に、破壊や破滅のビジョンを作り出してはいけないのです。

 

ひふみ神示にも、次のようにあります。(参照をご覧下さい。)

神は嘘つきだ、と言われても、悪い予言は嘘にしたい、と。

 

今のままでは、大量の土砂による三宮壊滅、というビジョン(想念)がどんどん形成されつつある。そしてそれを現実化しようとする勢力が確かに存在する。

私たちは、ここまで把握してます。

 

これを、どのように小難へと持って行くか?実はたった一つだけ、手段があります。

それが、六甲大水晶そのものの力を利用して、大量の土砂をポータル移動させることです。

ポータルの移動先は、果たして海なのか?それとも相手がすでに建設している「地下サイト」なのか?

それは、これから先、地下住人の皆様の御意志、水棲人達の御意志などを全て判断して決定致します。

 

もしかすると、神戸空港に、新しい小山ができるやもしれません。

こうなる事が、今のところ一番被害が少ないのではないか?これが我々神々の一致した意見となっております。

 

写真1)にあります通り、今回の予言の記事を読んでくださった方々の数、7月16日よりこちら、19日(木)19:23の時点で約2,0000PV。人数に直せば、どれだけなのでしょうか?しかしこの数、これからも増えて行くのは必定でありましょう。

 

f:id:boosuka-asuka:20180719191539j:plain

(写真1)スピリチュアル9条の会、アクセス解析

 

これだけのみなさんが思い描く破壊の構図、これらも、大水晶の力により、一気に浄化いたします。

 

ただし、トアロードに大きな川が復活する事、これは決定事項です。

また、神戸市内、芦屋市内、西宮市内、尼崎市内の各所に、大陥没が発生、都市部の地下サイトの無効化を完了させる。これも決定事項です。

 

7月22日以降に始まる「戻り梅雨」は、土砂移動のための下準備となりましょう。

 

今、エンジンキーの無い車のエンジンをかけるが如く、つまりはクラシックカーのゼンマイ式スターターだとか、バイクのキック式スターターを動かし始めるように、大水晶の起動作業は、着々と進行中です。

 

大難を小難に変える本当の力は、あなた方一人一人の心の奥底にある魂そのものにあります。

この三次元では、あなたたち自身が神なのですから、恐怖を心に描いてしまうと、恐怖が実現するのです。

したがって、そのようなことにならぬ様、プログラムの変更を行う事で、浄化をするわけです。

つまり、破壊・破滅に関する想念を、一気に消し去ります。

その後、これまた一気に六甲ガーデン周辺の土砂を、ポータル移動させて、六甲山に、巨大な水晶が現れます。

以上

 

参照〜〜〜〜

ひふみ神示  補巻

月光の巻、第七帖

前略〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

神はうそつきぢゃと人民申しても、悪い予言はうそにしたいので日夜の苦労、こらえられるだけこらえてゐるのである。

もう、ものばかりでは治まらんこと、キンでは治まらんこと、平面のみでは駄目であること、よく判ってゐるのにカブトぬげん神々様よ、気の毒が来ぬ前に改心結構。

遠くからでは判らんし、近づくと迷うし、理屈すてて神にほれ参らせよ

よくこの神をだましてくれたぞ、この神がだまされたればこそ、太神の目的なってくるのぢゃ。細工はりゅうりゅう仕上げ見て下されよ。

区別すると力出るぞ、同じであってはならん。平等でなくてはならんが、区別なき平等は悪平等である。天に向って石を投げるようなことは、早くやめねばならん。霊かかりもやめて下されよ。
人民が絶対無と申してゐるところも、絶対無ではない。科学を更に浄化弥栄させねばならん。
空間、時間が霊界にないのではない。その標準が違うから無いと考えてよいのである。
〜〜〜〜〜中略〜〜〜〜〜


第八帖

神の御用は、神のみこと(命(実言))のままでなくては成就せん。皆々釈迦ぞ、キリストぞ。もっと大き計画もちて御座れ。着手は出来る処からぞ。つかめる所から神をつかめよ。部分からつくり上げなされよ。
我出してはならん。そなたはそれでいつもしくじってゐるでないか。天狗ではならん。
心出来たら足場固めねばならん。神の足場は人ぢゃ。三千の足場、五千の足場。

http://hifumi.uresi.org/hokan.html より引用