スピリチャル9条の会〜〜boosuka-asuka’s blog

我らの戦いとは、相手を消滅することではない。 武器なきたたかいの勝利とは、「愛」で全てを包み込み「神人一体」の世を創り出すことなり。 我らと「ごく一部の存在」とのたたかいは、剣ではなく、「憲法」を以てたたかえ。そのための9であり99である。 ペンは剣よりも強し。繋がりあい励ましあいたたかえ。 とある存在の霊言より 御筆先・ブースカ明日香

何ゆえに 筆の進まぬ この日々ぞ

なにゆえに

筆の進まぬこの日々ぞ

温めつつあり 我の想いを

記事の更新を、楽しみにしておられる方が、一人でもいらっしゃることを祈りつつ、詠む。

 
実は先日の3泊4日に渡るホテル合宿の期間中、とある方をわたしの身体に宿して手紙を書いてもらう、という方法で「御筆先」を実施いたしました。
かかった時間はのべ5時(うち休憩1時間半)。
他人の霊体を、宿す訳ですから、わたしにとっては気力的にも、体力的にも、結構ハードでした。
 
もともと、御筆先はわたしの得意技の一つでした。しかし過去においてそのちから、間違った形で発揮していた時期がありました。痛い過去です。
ですから、もうこれ以上、悪霊なんかに簡単に騙されてたまるか!なんて想いもあり、長い間その得意技である「御筆先」は自ら封印していました。
 
ではそれがどの様なあやまちだったのか?と言いますと・・・
 
1984年、大学時代、わたしは悪霊に取り憑かれ、その悪霊の言いなりになってしまったのです。しかもその時の私の言動が余りに「調子外れ」だったため、家族の判断により、佐賀の精神病院に強制入院を強いられ、そのまま約半年入院。さらに半年通院したのです。
 
その病院の方針は『解放病棟』でした。噂に聞く『閉鎖病棟』と違って、雰囲気はかなり自由だったのですが、個室の作りは、まさに監獄。壁には真っ白なクッションが張られ、天井も真っ白。夜になれば、その壁と天井が自分に向かって「ぐわっ」っと迫ってくる!そんな錯覚におちいるのです。あんな部屋の作りは、本当に精神衛生上最悪!と今でも思ってます。事実、わたしの入院中、その個室において自死を選んだ方もおられました。おそらくですが、閉鎖空間の圧迫感に耐えられなかったのでしょう。その方とは、直前まで一緒にマージャンしたりと、軽い御縁がありましたのでショックでした。
 
監獄部屋は、一刻も早くなくすべし!なのです。
 
一方大部屋の場合、トイレが共同だったため、廊下へ出ないと用を足しに行けなかったし、カラオケやマージャン卓などがある「デイルーム」と名付けられた、二階にあった大部屋にも自由に出入りできました。
そこからさらに、担当医の許可さえ得られれば、庭に出るのも自由となり、その次の段階では病院周辺の散歩ができ、最終的には自宅への一時帰宅、つまり外泊が可能だったのです。
外出オッケーの段階では、入院仲間と近所のファミレスでパフェを食べたりしてました。
(ただし、これはわたしが入院した1984年の話であり、今現在、その病院がどのような感じ?あるいは方針になっているか?全くわかりません)
 
さて、強制入院から半月だか一か月後、個室から大部屋に移りました。
その頃の詳しい話は別の項に譲るとして、とにかく入院生活がいやになったわたしは、ある真夜中、二階建ての病室の窓から、雨どいを伝って地上に降り、病院を脱走したのです。庭の散歩用の靴箱は、外に設置してましたし。
とにかく佐賀から福岡まで、ヒッチハイクで移動。自宅には帰らず、迷惑もかえりみず、親戚のマンションに駆け込みました、悪霊の指示で!
いろいろあって、しばらくして、脱走疲れから寝てしまい、ふと目が覚めると、目の前には脱走を聞きつけてやってきた家族が・・・
 
当時、私は、霊的存在から「人間は飛べる、お前は、それを証明する第一号だ。だから絶対に飛べる!」と言われており、何故か、めちゃくちゃなその言葉を盲信していたのです。
そう、当時のわたしは、わたしに話しかけてくる霊的存在を神様だ、と固く信じ込んでいたのです。
 
単なる悪霊に過ぎなかったその霊を。
まさに、大いなる勘違いでした。
 
話を戻しましょう。眠りからふと目が覚めてからずーっと、霊的存在、つまり悪霊から「ここのベランダから飛べ!」と言われ続けました。飛べないんじゃないだろうか?」と思ったら即座に「地面に激突する直前に、フワッと浮くから!」とも言われました。
いよいよ、この「神様」の言うことを証明するためには、一か八かここから飛び降りるしかない、というところまで自らを追い込んでしまったのです。精神的に。しかし!
 
そのタイミングで、そして未だにどなたかは解らない、とある存在から、
「バーカ、人間が空を飛べる訳がないじゃん。ここから飛ぶことなんてできないよ!」と言われたのです。
それと同時に、全身がフッと暖かいドームのようなものに包まれました。
全ての不安がいっぺんに解消され、心底ホッとしたことは、今でも鮮明に覚えています。
そうです、わたしは「どなたか?」に命を助けられたのです。
  
しかしそこからまた、色々ありまして、病院の個室、つまり監獄に逆戻りしました。ホッとしたのを全て忘れて(^◇^;)
 
その日からまた一ヶ月か二カ月くらいかけて、再び大部屋に帰ることができたのですが、流石に霊の言葉を盲信することはやめてました。けれども、霊の言葉は次々と降りてきます。
 
そこで、またまた「どなたか?」からのアドバイスがありました。
絶え間なく聞こえてくる霊の言葉をノートに全て記して行く事にしたのです。
それから三ヶ月くらいかけて、毎日のように、大学ノート5〜6冊分になるまで、霊的存在からの御筆先を、病院のベッドで書き連ねておりました。
 
ある日どなたか?から「それらを全て読みかえしてご覧」と言われて、ノートを読み返すと・・・
なんとまあ、まともな部分、アドバイスはごく一部。
そして残りは、支離滅裂な言葉、インチキ、誤魔化しのオンパレードだったのです。平気で、前日と全く違う、正反対の言葉を発している事もしょっちゅうでした。
悪霊のお言葉なのだ!と身に沁みて実感したのです。そしてなにより、それを盲信していた自分に、一番呆れてしまいました。
 
どなたか?からの最終アドバイスは、「それらのノート、全て病院の焼却場で燃やしなさい!」でした。かくして、わたしの御筆先ノートは、全部自分で燃やしてしまったのです。
ちなみに当時、家庭ゴミの処分は、家庭用の焼却炉により庭などで燃やすのが当たり前でしたし、病院でも、焼却炉は自由に使えたのです。(^◇^;)
 
そう、あれ以来、今日まで、ずっと封印し続けた御筆先、今回、その封印を解きました。
 
本物の神様、本物の守護霊、守護神、そして、様々な存在の声を聞くために!
 
ブースカ明日香 記す
2018年3月31日(土)23:36