キンモクセイさんより、以下の様なコメントが届きました。
このコメントへの返答を、私の師匠であるN氏に求めたところ、次のようなコメントを頂きましたので紹介します。
神様と自分の間には本来何もありません。神社や作法はあくまでも目安のようなものです。
神様への最高の贈り物は「言葉」です。良き思いを言葉にして伝えて下さい。
祝詞も形式ですが、古来、神に仕えてこられた方々が辿り着いた珠玉の言葉の塊です。それを覚え神様にお伝えしたいと思ったならば、迷わず実践されることを勧めます。
あなたの思いはもう神様に届いています。神様はあなたから言葉をかけらることをお待ちになっているはずですよ。
以上、N氏〜〜
いかがでしょうか?
N氏の回答にある通り、祝詞は珠玉の言葉であることは間違いないのですけれど、唱え方によっては封印の継続になったりするみたいなのです。ことに、神職であるはずの神主さんが唱えているやり方は、様々に改ざんされているみたいなのです(ひふみ神示より)。
これについては、改めて調べて、ここに書き加えます。
キンモクセイさん、よろしくお願いしますm(._.)m
ブースカ明日香
2017年10月7日(日) 23:46
祝詞に関する考察、その(1)にコメントが書かれました。
自宅近所の今熊神社、一人暮らしをしていた頃の北野天満宮、仕事場近所の子安神社。
ご縁のある神社がそれぞれに宮司さんが引っ越したり、氏子さんと揉めていたり、何かと金銭にこだわる欲深神社になったり。
私には不思議な力は無いです。そんな私のような者でも、祝詞をおぼえ唱えたら、喜んでくださるでしょうか。それとも部外者は関わらない方がよいでしょうか。