2017年8月26日(土)21:11
〜9月23日(土)21:12
小学生の頃、「天皇なんて死ねばいい」と家族の前で発言し、父にぶっ飛ばされました。
しかし同時に、戦争というのは全て「無償」で行われているに違いない、と思い込んでいました。誰かが、国のために無償で武器を提供しているものだとばかり思ってました…
戦争で大儲け、なんて考えもつかなかった。
筥崎宮にて。放生会(ほうじょうや)の雑踏に、手や足を失った傷痍軍人が地べたに這いつくばり、隣でもう一人がアコーディオンを鳴らしながら物乞いしている姿を毎年見てました。空き箱に入っているのは、わずかなお金だけ。
大学時代、ファシズムとしての「絶対主義的天皇制」という言葉を知りました。
全ては、天皇の合意の元で作られた社会なのだと信じていました。
そして、戦後の戦争に対する発言の数々。許せませんでした。
月日は流れ、日本各地の浄化に明け暮れた、この半年間〜〜
なぜか、彼と関わることになり…
彼の、常に悲しみに満ち溢れているその思い、その波動を感じるなかで、
彼の親兄弟、子どもたちの「たましい」が無残な封印をされているのを目の当たりにするにつれて…
わたしの、彼への思いは変わりました。
昭和天皇、裕仁さんは、20世紀最大の『冤罪被害者』である‼︎
これが、ブースカ明日香の現在の認識です。冤罪被害者は、真犯人を暴き出して汚名を晴らしてあげなければなりません。
では、なぜ彼は戦争を止められなかったのか?
自分が愛する人たちを、ことごとく人質に取られていた。
そんな中で彼は「お飾りの人形」としての権力者であった。
本当の権力者、支配者は、別に居た。
そんな人を、戦争責任者として罰するのは、御門違い。
しかし彼は、『戦争は悪くない、日本・日本人は悪くない、アジア人を差別せよ。』これら、戦争賛美の戯言(たわごと)。
彼は、この日本に、今また蔓延(まんえん)しようとしているこれらの戦争賛美をきっぱり拒否し、戦争に対する罪と罰を、全て背負い込む覚悟をなさっている。
その覚悟を目の当たりにした時、わたしは彼とともに、贖罪の旅に出る決心をしたのだ。
(写真1)新聞を読む、ヒロヒトさん
改めて、言います。
近い将来、真犯人さんが罪を認めて、悔い改めるか否か?それが問題なのです!
ブースカ明日香 記す