シリーズ開始、そのはじめに
高天原山に坐す、国常立の大神様(注1)より、この予言を下ろされた(おろされた)者の責任として、予言の解明は必須であると心得ます。
当然、この予言は、わたくしのみならず、この三次元に住まう全ての知的生命体に対して下された予言です。
従って予言の解明、及びその実現は、全ての存在、つまりひとりひとり(注2)にかかってまいりますゆえ、みなさんも是非解明に挑戦して欲しいと存じます。
2017年8月12日、ついにあと三年というカウントダウンがスタートします。大神様の願いが、地球の破滅、三次元の消滅などではなく、全ての存在がおのれの罪を認めた上で、お互いを許し許される。この事を実現し、新たな世界を構築することであると信じます。そしてこの世界から一切の殺意をなくし、第三の123便を無事大阪空港に着陸してもらう。
この立場で予言の解明を進めたいと存じます。
こちらもシリーズでお伝えしようと存じます。
2017年8月11日(土) 21:41
ブースカ明日香拝
[生存者の人数、その謎]
この日までに、一切の呪詛が通らない世界になる。
その時、未だ落ちていない第三の123便が現れるであろう。そしてその機は、未だ亡くなってはいない512人とともに大阪の地に降り立つ。
実は審神者をしている最中、わたしの審神者をサポートしてくれていた、「ヒルコのアサリちゃん(╹◡╹)♡」に何度も聞き返した部分が、ここです。しかし、何度聞いても512人で合ってるよ、としか返事が返ってきませんでした。
世間に流れている正式発表では、乗客乗員合わせて524名。そのうち4名が生存者であり、お亡くなりになったのが520名。
これらの数字、123便の事故で亡くなった方全てを追悼したい、そして、できれば事故原因を追求したいと願ったわたしでも知ってることです。
しかしこの世界、悲しいかな隠された真実の方が多いのが現状です。そしてさらに、乗客名簿に記載されないままに、貨物室に詰め込まれてしまった方もいる、と言うことも聞きおよびます。
ですから、ここではこの数ヶ月で新たに聞いた情報やインスピレーション等を含めた謎の解明に徹したいと存じます。
[524マイナス512=?]
大神様が何故「512」という数字にこだわったのか?それは、上記の[見出し]にある計算式をせよ、とのお考えがあったからだ、とアサリからの情報を得ました。そして
?=12
この「12」という数が重要になってくるのです。
これはすなわち『12人の使徒』を表している!のです。そして、12使徒が現れたからには、当然キリストも登場します。
ここで、当然の話ですが、使徒そのものが乗っていた訳ではありません。12使徒の魂を受け継ぎ、1985年8月12日、 日本航空123便を最終的に救うために 集いし方々が搭乗したのです。
[神の配置図]
下の図をご覧ください。
これは、イスラエルの国旗が元映像です。六芒星、或いは籠目紋(かごめもん)の交点と頂点にうたれた、赤・黄・緑の丸を数えると「12」。すなわち、ジャンボの機内では、このような配置で12人が座ったのです。
そのうち、赤丸の四人が救出された方々となるそうです。
でも、あれれ?親子で助かった方もいるわけで、その二人が隣同士に座っていたとしたら?これは少し変になりませんか?アサリさん?
アサリ>ご安心あれ、黄色と緑の丸が何故隣同士なのか?それを考えれば、良いのですよ。少なくとも親子で隣どうしで座ったのならば、赤の二つは別の人、となるわけですよね。そして、実際の座席配置では、このような美しい六芒星にはなっていません。重要なのは、選ばれし12人が着席していた、という事実なのです。
とのことです。
そして、上図の左上、ピンクの丸。これがキリスト、すなわち坂本九です。不揃いでも、六芒星の形に12使徒のみなさんが着席すれば、その方々がお慕いするキリストは、どこに座っても構わないのだそうです。
そして 「これらの霊的事実」は、123便の墜落を計画した方々もご存知だったはずです。何故なら彼(彼女)らも優秀な陰陽師であり、僧侶であり、霊能者であり、巫女(神子)であり、超科学者であったでしょうから。
ただし、その優秀な力を、全ての存在の幸福のためではなく、「この世界を不幸に染め、特権階級だけが助かるため」に使っていた。
祝詞ではなくて呪詛の呪文をとなえていた。
そしてそれらすべてを、秘密のベールに隠れながら実行した!
ここが問題だと思うのです。
ともあれ、普段「絶対に利用を拒否」していた坂本九さんが、なぜJAL123便に乗ったのか?
呪詛を駆使した相手側は、呪詛を完成させるため、
一方の大神様は、2020年8月12日、全てのスタートを成功させるために、坂本九を導いたのであります。
続く
脚注〜〜
注1)
読み=たかあまはらやまにます、くにとこたちのおおかみさま
です( ^ω^ )
注2)
あえて「ひとり」と言う表現を使わせていただきます。